てんま通信

2005年に海のある田舎に引っ越をした期にはじめたブログです。 九十九里浜に近いところに移住して暮らしています。 2005年5月25日より

バイク

大学4年だけ

大学生活4年間で最も大学生活が出来たのは、私の場合は4年だった。この大学を選んだのはひょっとしたら、間違ったかもと思ったのが入学してすぐの、1年の5月でこれは挫折とも言える心境を味わった。

幸いそう思った他の学生の集いがあったので、なんとか3年間は繋ぐことが出来たが、その集いがなかったら誰も友達を作らず4年間を大学と下宿のアパートを往復するだけで、早ければ大学3年で下宿を引き払って実家から通っていただろうと思う。現にそういう学生もいて誰とも口を訊こうとしなかったが、その心境も理解できる。

金と権力と見栄で、誰でも入れることを前提とした大学、にしたような大学だった。
大学というのは、勉強をするのではなくて一人で研究をするのを練習するところだと思っていたが、あまりにも4大と称するような内容ではなかった。これは挫折する。習得する内容もなければ一生出身校が付いて回る。

いわば、5流校だったのだ。

しかし4年になっていろんな人に会ってきた総合で考えると、                 
1流校に入ったとして、遊んでいれば何もならないし仮に東大や京大に入ってしまったら、一生「あの人は東大出たのにね」と人に言われることが付いて回る。これは多分恐ろしいことになるだろうから、私の場合は5流校のほうがいいと思う。

大学4年になった春先に時期時期部長に期待した2年生を毎週金曜日に部室で逢うようにして、ここにあったことを教えることにした。時期部長に引き渡したので4年生なんぞは居るだけで煙たい存在になるから、引き継いだらもう部室には顔を出さないつもりだったが、4~5人の後輩がまだ来て欲しいというのでそんなもんかと思って、週一の金曜なら翌日休みなのでまあいいかと思って来ることにした。

同期の部員は就職活動を名目に講義が終わると実家に帰っていくが、私は下宿に帰るだけなので週一だけだったらなんとでもなったし、何でバイクなんかどうみても遊んでいるだけに傍から見ると思うようなサークルが存続できるのか、ということを私は見極めていたからだった。
それは他行のバイク部と交流してきて、存続意義の要素をよく知ってきたからなので、自分が作ったものではない。
しかし、時期部長になった学生には教える気になれないので、時期時期部長候補にマンツーマンで伝えることにした。

ただそれだけのこと。

その2年生の後輩はホンダの250ccのオフロードに乗っていたのだけど、親が電気工事店を営むエンジニアなので、機械モノを扱うセンスが抜群だった。
それで金曜日の放課後3時になると、埼玉の北部の方を走ってみようと集まったら、俺も俺もと言う感じで他の後輩も二人きて、4台で毎週金曜日はバイクで近隣を回って部室に帰ってくるというのが、学際が来る秋まで続いていた。個人的には卒業論文を本気でやらなくれはならないで寒いを口実に辞められた。

しかし、この2年生に教えるのが目的で不随で4台で毎週走り回っていたのたが、現部長にちゃんと教えたくないのと他の部員には面白くないのがいたようで勝手に4年が変な動きをしていると悪口を言うのが出たらしいが、人の悪口なんかどうでもいい。

面白いから自然に集まって行動しているのだが、傍のサークルからするとやっとバイク部がちゃんと活動をしているように見えたらしい。

雨が降らなかったら毎週近隣を走っていたので、とても記憶に濃く残ったのと、ワープロでどこに行ったか書き出して記録にしておいたので、後々これを自治会に提出するとちゃんとサークル活動をしているように見えて、翌年から部費がよく出るようになったそうなのである??

まあ、毎週いろんなとこに行ったものだと。

ファミレス巡り、
バイク用品店巡り、
業販用の卸の店、
ディスカウント店巡り、
近隣の湖巡り、

夏場で行けるときには3時の放課後習合なのに、高崎市にある大学から東松山市の今は無きすかいらーくまで行って帰ってきたことがあった。まあ、往復100kmの距離ですが。
バイクは起動性があるのでちょっと時間があればすごい効果が期待できる乗り物だと改めて思った。

ただ下宿に帰ってしまえば、4時間なんてあっという間に過ぎてしまうが高速を使えば東松山市まで行って食事をして帰ってこれる。後輩の彼らも学びだが、私も学びだった。
なんと言っても良かったのが、みな走ったあとは笑顔で別れられることだった。それだから、出来る限りは続けた。

その結果、大学4年間だけの最後の年だけが大学生らしい生活ができた。皮肉なことでもあった。



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GPZ250Rと大学生活と・・

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バイク用品のリサイクル店に行ってみましたら、GPZ250Rのサービスマニュアルが売られていました。なんと言うか、想いは何度でも巡ってくると言いますか。

パラレルワールドなんて言葉がありますけど、もしその時にそれを選ばなかったら、他のストーリーがあるということですけど、このバイクは大学に入ってから乗ろうと高校の時にカワサキストーリーという本を買って思っていたのですが、実際大学に入ってから中免を取って250ccに乗ろうと思っていたら、原付時代から通っているバイクの解体屋に行ったらたまたまあったので、それを買いに行ったら同伴した悪い従兄弟が「かっこ悪い」と悪魔の囁きをしたので、これを買わずに125ccのバイクを買ってちょっと練習することになったのです。

これを悪魔の囁きというか、他に言いようがありません。
125ccのバイクは2ストのMBX125Fというバイクでしたが、エンジンがどうも焼き付けを起こしたようでものすごく調子が悪く、まさに貧乏くじを引いたことになりました。

GPZ250Rはボロかったですが、エンジンは調子が良いようだと解体屋の人も勧めてくれたのですが、余計な時にバイクに詳しいような悪い従兄弟を連れていったのが最大の失敗です。
どうせ失敗して、腹でケラケラ笑っていたかもしれません。案外近いところに敵はいるものです。

まあ、確かにGPZ250Rはそのデザインからバッタのようなバイクとして評判は良くなかったのですが、自分としてはそれほど格好悪いとは思えませんし、限られた財源でそこそこ4年間は走ってくれたら申し分なかったので、このバイクにしてたら間違いはなかったと冷静に思います。


海外のどこかで乗られている、全く同色のGPZ250R
gpz250r-6

今でもそんなにかっこ悪バイクじゃないと思いますけど。後のGPX250Rから、ZZ-R250に繋がったモデルですが、ZZ-R250に関してもまたこの悪い従兄弟が「ダサい」という悪魔の囁きをしてました。
まるで私の進化を邪魔するような一言を言ってくれます。

お陰で、他人にバイク選びで余計なことを言わない習慣ができました。
本当にありがとうございます。悪い従兄弟は行ってヨシで、14年はあっていませんしこの後も2度と会うことはしないでしょう。

バカなのか、私が千葉に引っ越してきてからも、最悪な韓国バイクの本をご丁寧に送ってきましたので、どこまでバカなんだろうと思いましたがありがたく2回ほどパラパラとめくって、速攻でゴミ箱に捨てました。

バカの負の連鎖は置いておいて、バカにえさをやらないようにしてぶちぎれたので14年従兄弟に音信不通にしてますから、とっくにバイクは乗ってないと思います。笑

さてと、思い出すのは1990年代前半に大学でバイク部の部室で、GPZ250Rのことを友達に論じていることがありました。最初の北海道ツーリングに行った友達で、北海道を一周するために中型自動二輪の免許を取って、新車でZZ-R250をバイトして買ったバイタリティーのある友達でした。

GPZ250RやGPX250Rのトータルバランスを考えると、学生にはうってつけのバイクだと思いますが、彼は中古は何かあったら対処できずに困るから、新車が良いというのでZZ-R250を新車で購入することになりました。もちろんそれが出来れば、それに越したことはないのです。彼はたまたま人並み外れたバイタリティーがあったから良かったです。

まあバブル期の余波がありましたから学生バイトはいくらでもあって、60万円を貯めるのは当時は容易なことだった感じがします。しかし、短い4年間はバイトばかりしているとあっと言う間に終わります。私はそっちの選択をしないでスズキの中古車が巡ってきたのでGSX250Eに乗っていましたが、これは北海道を荷物を大量に積んで走ってきたら、フレームがよれたり、サスペンションがへたったりとしたもので、北海道から帰ってきてから中免を取ったばかりの友達に譲りました。

当時はネットなんか学術ネットしか大学になくて、個人が出来るインターネットなんかありませんから、古本屋を巡ってかたっぱしからGPZ250Rの記事を切り抜いて、スクラップブックにしてデータを調べてみましたが、どうもGPZ250Rにしておけば難なく4年間は乗れて北海道ツーリングも、もっと楽に出来たようでした。

全くベースとなる大切な4年間だったのに、バカのお陰でバイクに関して自己採点をすると40点ぐらいになってしまいました。お陰でバイクに飽きずに今日までバイクの探求をしているのですから、有難いことです。


大学3年の晩秋になって、来年はもう就職活動なんで遊んではいられなくなると、最後にバイク部の部員と奥多摩湖へツーリングに行ってから、部室で北海道に一緒に行った部員と二人で話をしていた。

「もうすぐ、バイクが夢で生活できてきたことが終わるけど、我々は他の学生と比べてどうだったものかなあ?」と私が彼に尋ねた。
「まあね、君がいてくれたお陰で楽しい大学生活で、北海道にもいけたし、短大の女の子とも友達ができた。感謝してるよ」と彼が答えたが、
「バイクについてはどうっだったと?」と訊き直した。
「とりあえず、カワサキに乗ってきてなんの問題もなかったが、俺はもっとハードなことをして自分を試したいと思うんだ」と、言う。
「え?今度は何する気だ??」
「来年だな、うちの大学でろくな就職は出来ないと思うんだよね、それで就職活動なんかせずにこのままバイト続けて、今度はロードバイクで生まれ故郷の山口に行ってみようと思ってるのさ」と彼は( ̄ー ̄)ニヤリと笑っていった」
「それはすげえな。俺はそんなバイタリティーないからな、是非やってみてくれ。なんらかの協力はする」と私は驚いた。
「君はどうするんだ?」と彼が聞いた。
「北海道にバイクで行ってきたら、夢が終わってしまったので脱力感がある。来年は小さな250ccを買って友達の短大生と静かに遊んで、いろんなところにバイクで一緒に行って学生生活を終わらせようという計画」
「なんかそれも良いけど、なんかパワーがない感じだな」と彼が言う。
「大丈夫だ。俺は自分で立てなくなるまでバイクに乗るんだ。それで北海道は壁を越えてしまったから、海外のどこかを制覇するんだ。ルート66やオーストラリアは誰でも行ける時代だろ、次のどこかを探しているんだ。おもしれそうなとこな」
「どこがあるだろうね。( ̄ー ̄)ニヤリ」

彼はコーヒーが嫌いなので、コーラをいつも部室で飲んでいた。自称おこちゃまなので許せという。

「ロードバイクにして、カワサキはどうするんだ?」私が訊くと、
「来年までは乗っているけど、後輩の誰かに売ればお互い良いだろう、ロードバイクを買うからガレージに置きっぱなしになるだろうね」
「いついくつもりだ?」
「来年の年末に、北海道は夏の極限を体感したんで、今度は冬の極限を体感してみたい。途中で年賀状を出すからそれで消息を確認してくれ」
「来年の年末なんて気が遠くなるよな話だな。俺は半年後に生きてるか死んでるか見当がつかないというのに」まったくタフな男だと感心した。

「あれ、来年の卒論始めるまでカワサキは置いておいてくれないか。最後のイベントを秋にやろうと思ってはいる。それで大学生活の本当に最後のイベントになると思う。新年度になる前に全て後輩に引き渡すが、最後のイベントだけは我々で計画する、それで立鳥跡をのこさずだ」
「ああいいよ。それで後輩で気骨なのがいたらカワサキ譲ってもいいよね」と彼が言った。

「おれらはここで何をやってこれたんだろうね、という生きてきた証みたいなのを感じる、ちょっとオーバーだけどね。生きてきたというレベルでもない」と彼が言った。
「しかし、ここで何やってきたんだろねえ。何でここにいるのかも不思議だ」と私が答えた。
「他の学生のたるさに同調してたら、ダメなだったろうけどなんとか免れたようだ。ゼミの誰々のように人がいいだけなのはいいけどさ、面白くはないよね、ねえ君、生きていて面白いか?っていつも聞いてみたい」と彼がいった。
「あいつか、あいつはなー表は良い人の仮面をかぶってるのさ。本性はきっと嫌なやつだと思う。ただ生きているだけの存在という気がしてならない。それをいつも良い人で隠そうとしてる感じがする」
「ははは。そうかもね」と彼が言った。

私は話ていたら喉が渇いたので、外にある自販機からカップのコーヒーを買ってきて部室に戻った。

だいぶ話していたので、すっかり夜になっていたが彼のZZ-Rが外灯で照らされていて、綺麗だった。カワサキのバイクは断然夜のほうが似合う。
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・・そんなことがあったと、GPZ250Rのサービスマニュアルを見てから思いだした。



ROYAL ENFILD 169 ”Make like a Love”

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女性アーティストのÆさんにロイヤルエンフィールドのボードアートの作品を創作して頂きました。
タイトルは、ROYAL ENFILD 169 ”Make like a Love”
『愛のように創られたロイヤルエンフィールド』です。

誠にありがとうございます。  

またロイヤルエンフィールドの事を書く

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日曜日はネットなどやるのやめて脳を休めようと思ったら、フェイスブックでインド人の友達などに、ロイヤルエンフィールドの話題をしまったら、また情報をあれこれと集めていたら夜になってしまった。

ロイヤルエンフィールドというバイクメーカーはイギリスの本社とインドのサテライト工場があったのですが、本社がつぶれてサテライトのインドの工場だけが生き延びたという、インドのバイクメーカーなのですが、主力のラインバイクは50年以上前の設計でほとんど進化せず生産してきました。
5年ほど前に、長年進化せず生産されてきましたが、前輪をディスクブレーキにして点火はEFIになったり電装は日本製になったりとついに現代事情に合わせて進化を遂げました。

私が大学生だったころに、グーグルというバイク雑誌があってこんなシーラカンスのようなのがあるんだなあと思っていましたが、将来自分が関わることになるとは思いませんでした。

急浮上したのはやはり進化を遂げてニューモデルになったことがきっかけです。タンブラーをやっていたらやたらとロイヤルエンフィールドがたくさん載るようになって、進化を遂げて発売されたことを知りました。

2011年にフェイスブックでもロイヤルエンフィールドジャパンがページを立ち上げたりして関東に住んでいれば普通にロイヤルエンフィールドが乗れるようになったことをしりましたが、やはり決定打となるのは進化を遂げたニューカラーが出たことです。


500EFIのタンというカラー
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それ以前はブラックの単色がメインで。
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ツイッターで検索すると、たくさんユーザーが載せている時代となってますので興味のある人は使用状況がどんななのか見てみるのも良いと思います。↓ ここから

ロイヤルエンフィールド クラッシックに乗る

まったく同じタイプがインドに。

6月18日あたりになんの気なしにロイヤルエンフィールドがあるものか?と検索したら、千葉で1件ヒットしたものでそれからFacebookとツイッターで検索したらツイッターの方でロイヤルエンフィールドインド本社や、インドネシア、日本、アイルランド他世界の正規代理店のアカウントがあるんで世界的に売り出したんだなーと思いました。

ツイッターのほうが検索が楽なんで、1ヵ月以上よく調べてたりしたのですが、どうやらロイヤルエンフィールドは50年で新しく生まれ変わったようで500の方はEFIになっていたりスロットルが日本製だったりフロントブレーキがディスクになってたりした。ヨーロッパ市場で規格に合うように変わったらしい。



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興味を持ったのは1992年ぐらいだったのか、こんなイメージの500と350が日本でも販売されていたのだけど、値段も高いし常に故障を覚悟しなくてはならないバイクなので現存して新車で乗れるビンテージバイクであって普段乗れるようなバイクではないから乗ることは視野になかったのだけど気になっていた。


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ロイヤルエンフィールドブレッド500EFI

このバイクをネットで観て驚いた。カスタムしたようなスタイルとカラーリングになったのだけど、これは普通に乗れるという直感があって今になったら乗れるんではないか?という結論になったのだけど、
このカラーはいいですね。ロイヤルミルクティーみたいですね。

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インドネシアで売られているカラー。

Facebookでジャカルタの友達に、ロイヤルエンフィールドがどんな状況なのか?訪ねてみたら、ロイヤルエンフィールドは高価な趣味で一般的でない、ほとんどスクーターです。と教えてくれましたけど、この製造されてから64年も経つバイクはもっと普通に乗れるバイクでないと意味がないと思いました。





カテゴリーにしてありますから、これからもたまにレポートしていきたいと思います。









あなたも「千里の道も一歩から」でロイヤルエンフィールドクラッシクに乗ってみませんか?
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てんま

出身校は上武大学経営情報学部ですが、聖地巡礼していろいろと学んできました。
群馬県沼田市生まれ、千葉県 東金市 在住


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