大学生活4年間で最も大学生活が出来たのは、私の場合は4年だった。この大学を選んだのはひょっとしたら、間違ったかもと思ったのが入学してすぐの、1年の5月でこれは挫折とも言える心境を味わった。

幸いそう思った他の学生の集いがあったので、なんとか3年間は繋ぐことが出来たが、その集いがなかったら誰も友達を作らず4年間を大学と下宿のアパートを往復するだけで、早ければ大学3年で下宿を引き払って実家から通っていただろうと思う。現にそういう学生もいて誰とも口を訊こうとしなかったが、その心境も理解できる。

金と権力と見栄で、誰でも入れることを前提とした大学、にしたような大学だった。
大学というのは、勉強をするのではなくて一人で研究をするのを練習するところだと思っていたが、あまりにも4大と称するような内容ではなかった。これは挫折する。習得する内容もなければ一生出身校が付いて回る。

いわば、5流校だったのだ。

しかし4年になっていろんな人に会ってきた総合で考えると、                 
1流校に入ったとして、遊んでいれば何もならないし仮に東大や京大に入ってしまったら、一生「あの人は東大出たのにね」と人に言われることが付いて回る。これは多分恐ろしいことになるだろうから、私の場合は5流校のほうがいいと思う。

大学4年になった春先に時期時期部長に期待した2年生を毎週金曜日に部室で逢うようにして、ここにあったことを教えることにした。時期部長に引き渡したので4年生なんぞは居るだけで煙たい存在になるから、引き継いだらもう部室には顔を出さないつもりだったが、4~5人の後輩がまだ来て欲しいというのでそんなもんかと思って、週一の金曜なら翌日休みなのでまあいいかと思って来ることにした。

同期の部員は就職活動を名目に講義が終わると実家に帰っていくが、私は下宿に帰るだけなので週一だけだったらなんとでもなったし、何でバイクなんかどうみても遊んでいるだけに傍から見ると思うようなサークルが存続できるのか、ということを私は見極めていたからだった。
それは他行のバイク部と交流してきて、存続意義の要素をよく知ってきたからなので、自分が作ったものではない。
しかし、時期部長になった学生には教える気になれないので、時期時期部長候補にマンツーマンで伝えることにした。

ただそれだけのこと。

その2年生の後輩はホンダの250ccのオフロードに乗っていたのだけど、親が電気工事店を営むエンジニアなので、機械モノを扱うセンスが抜群だった。
それで金曜日の放課後3時になると、埼玉の北部の方を走ってみようと集まったら、俺も俺もと言う感じで他の後輩も二人きて、4台で毎週金曜日はバイクで近隣を回って部室に帰ってくるというのが、学際が来る秋まで続いていた。個人的には卒業論文を本気でやらなくれはならないで寒いを口実に辞められた。

しかし、この2年生に教えるのが目的で不随で4台で毎週走り回っていたのたが、現部長にちゃんと教えたくないのと他の部員には面白くないのがいたようで勝手に4年が変な動きをしていると悪口を言うのが出たらしいが、人の悪口なんかどうでもいい。

面白いから自然に集まって行動しているのだが、傍のサークルからするとやっとバイク部がちゃんと活動をしているように見えたらしい。

雨が降らなかったら毎週近隣を走っていたので、とても記憶に濃く残ったのと、ワープロでどこに行ったか書き出して記録にしておいたので、後々これを自治会に提出するとちゃんとサークル活動をしているように見えて、翌年から部費がよく出るようになったそうなのである??

まあ、毎週いろんなとこに行ったものだと。

ファミレス巡り、
バイク用品店巡り、
業販用の卸の店、
ディスカウント店巡り、
近隣の湖巡り、

夏場で行けるときには3時の放課後習合なのに、高崎市にある大学から東松山市の今は無きすかいらーくまで行って帰ってきたことがあった。まあ、往復100kmの距離ですが。
バイクは起動性があるのでちょっと時間があればすごい効果が期待できる乗り物だと改めて思った。

ただ下宿に帰ってしまえば、4時間なんてあっという間に過ぎてしまうが高速を使えば東松山市まで行って食事をして帰ってこれる。後輩の彼らも学びだが、私も学びだった。
なんと言っても良かったのが、みな走ったあとは笑顔で別れられることだった。それだから、出来る限りは続けた。

その結果、大学4年間だけの最後の年だけが大学生らしい生活ができた。皮肉なことでもあった。



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