わたくし、生まれも育ちも群馬県の沼田市というところでした。
群馬県の市政でも最北部の町であって産業はりんごが有名です。

日本三大天狗の迦葉山弥勒寺があるところです。
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高校を出るまで住んでましたが、大学に入ると基本的に沼田市を出る生活になり、沼田市は故郷で戻ってくる感じでしたので、高校まで住んでいた町という感じでした。

埼玉に親戚がいましたので、生まれたころから上越線、高崎線を往来してましたので「なんでこんな山奥に住んでるのか?」と疑問があって帰ってきていましたから、大学生になったら良い口実になるので南下して脱出しようと思っていました。

大学を出ると、埼玉県東松山市にある企業に就職をして、生活の基盤を作ったりインターネットの研究を個人的にしたりと、個人的には天国でした。アパートも1kでしたが良い環境で普通に暮らしてお金を使わなければ貯蓄をたくさんできました。

2003年の4月にはもう千葉県に移り住む計画を建てていましたが、もう愛すべき群馬県に帰ることもないだろうと思って、自分から都落ちして知り合いの不動産屋の紹介で群馬県渋川市中郷というところに2年だけ住んで、生まれてからお世話になった群馬県に最後のお別れで住むことにしました。

多くの知人や友達は「そんなことは無駄だからよしなさい」と言ってくれましたが、無駄なのはわかっているのですが、最後にやっておかねばならない仕事が群馬県内にありましたので、失敗したとしても納得がいくところまでやって群馬県を離れました。

まあ、ネットがあってコンビニがあれば最低生活するところにはいました。
去年の時点で近くにあったコンビニをグーグルで見たら潰れてましたので、今だったら住む対象にはなりません。
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国道から近くて、家から赤城山が見れるので毎朝拝めました。
ここに住んだ最大の理由が赤城山なのかも知れません。
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2年間は就職はせずに、友達が車の修理工場をやってましたので生活費になればいいのと、取引先の中之条やら仕事で行けるので手伝っていました。収入もありますが、お手伝いの要素のようでした。仕事がなければ自由に群馬県内いけますし、友達も必要な時だけいてありがたかったそうです。
お金ではないです。

自分から都落ちして暮らしてみる2年間でした。

群馬県に住んだ2年間でやったこと

●2年乗れれば良いのでなんでもないカローラを3万円で買ってきて車検を友達の工場で取って、エンジンを積み替えて遊んでいた。群馬を離れると同時に廃車。

●ブログの研究が良くできた。Movable Type

●小学校から高校までの友達宅を家庭訪問した。

●業者に頼むとお金がかかるので、親のお墓を整備した。

●高崎線でアキバにはよく通った。

●修験道の研究山伏のお寺に毎月行って話を聞いていた。時には山伏と個人的に動いて見聞した。

●群馬県内の温泉は50個所は巡った。混浴は制覇したようだ。

●榛名湖には毎月早朝に一度行った。

●みなかみ町藤原の藤原郷に仙人のようなおじいさんがいたので良く行った。

●基本的に孤独なので、渋川市唯一のキャバクラにはよく通った。

●250ccのバイクだったが良く走った。夏季は毎週ツーリング。

●インターネットの普及してない小さな会社にネットを繋いでおこずかいもらった。

●ハードオフにはよく通って、ジャンクのパソコンの値段をみてた。今はパソコン自体が安くなったので新品を買ったほうが損がない。

●八ッ場ダムの進行を観察していた。自然を壊し無駄なことで業者が潤うだけ。今でも反対する。

●高校の時の友達の店があまりにも暇なので、ネットワークビジネスを一緒にやってあげた。

 2004年12月24日に群馬県にいる全てのやるべきことは終わりました。

住居費を含め、200万円以上の無駄になりましたが、群馬県に恩返しのつもりでお金を落としました。群馬県には感謝されても恨まれることはないと、自分で納得のいく範囲で。