てんま通信

2005年に海のある田舎に引っ越をした期にはじめたブログです。 九十九里浜に近いところに移住して暮らしています。 2005年5月25日より

ご訪問ありがとうございます。
このブログはブログというより、レンタルサーバスペースの代わりに使ってます。千葉ブログの立ち上げ2005年5月25日
●千葉県の九十九里浜に近いところに移住して暮らしています。
●千葉県の投稿だけとは限りません。時には旅の記録やコラムなども。
●3Dデータベースにはなりませんのであしからず。
●大好物はうずらの卵。

勝浦市部原の海岸

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海辺の暮らしブログと称して、関係のない話題が続きましたので今日はFinepixのネオ一眼を持って大原漁港の朝市に行ったり、鵜原理想郷にいったりしましたが、結局勝浦の部原(へばら)に行って落ち着きました。
今年の夏は殺人的暑さだったので、海水浴に行くような気分にもなれませんから、今年は海だけのために一日費やしたのは今シーズンはじめてのことになります。九十九里浜の片貝海岸には夕方ちょくちょく行くのですが、デジカメを持ってまで行くことが少なくて。

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今日の太陽ですが、日輪が出ていました。


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サーフィンをやってる人がたくさんいますが、場所によってサーファーがいないルールがあるのでいないところで、サンシェードを使って長居しました。

GPZ250Rと大学生活と・・

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バイク用品のリサイクル店に行ってみましたら、GPZ250Rのサービスマニュアルが売られていました。なんと言うか、想いは何度でも巡ってくると言いますか。

パラレルワールドなんて言葉がありますけど、もしその時にそれを選ばなかったら、他のストーリーがあるということですけど、このバイクは大学に入ってから乗ろうと高校の時にカワサキストーリーという本を買って思っていたのですが、実際大学に入ってから中免を取って250ccに乗ろうと思っていたら、原付時代から通っているバイクの解体屋に行ったらたまたまあったので、それを買いに行ったら同伴した悪い従兄弟が「かっこ悪い」と悪魔の囁きをしたので、これを買わずに125ccのバイクを買ってちょっと練習することになったのです。

これを悪魔の囁きというか、他に言いようがありません。
125ccのバイクは2ストのMBX125Fというバイクでしたが、エンジンがどうも焼き付けを起こしたようでものすごく調子が悪く、まさに貧乏くじを引いたことになりました。

GPZ250Rはボロかったですが、エンジンは調子が良いようだと解体屋の人も勧めてくれたのですが、余計な時にバイクに詳しいような悪い従兄弟を連れていったのが最大の失敗です。
どうせ失敗して、腹でケラケラ笑っていたかもしれません。案外近いところに敵はいるものです。

まあ、確かにGPZ250Rはそのデザインからバッタのようなバイクとして評判は良くなかったのですが、自分としてはそれほど格好悪いとは思えませんし、限られた財源でそこそこ4年間は走ってくれたら申し分なかったので、このバイクにしてたら間違いはなかったと冷静に思います。


海外のどこかで乗られている、全く同色のGPZ250R
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今でもそんなにかっこ悪バイクじゃないと思いますけど。後のGPX250Rから、ZZ-R250に繋がったモデルですが、ZZ-R250に関してもまたこの悪い従兄弟が「ダサい」という悪魔の囁きをしてました。
まるで私の進化を邪魔するような一言を言ってくれます。

お陰で、他人にバイク選びで余計なことを言わない習慣ができました。
本当にありがとうございます。悪い従兄弟は行ってヨシで、14年はあっていませんしこの後も2度と会うことはしないでしょう。

バカなのか、私が千葉に引っ越してきてからも、最悪な韓国バイクの本をご丁寧に送ってきましたので、どこまでバカなんだろうと思いましたがありがたく2回ほどパラパラとめくって、速攻でゴミ箱に捨てました。

バカの負の連鎖は置いておいて、バカにえさをやらないようにしてぶちぎれたので14年従兄弟に音信不通にしてますから、とっくにバイクは乗ってないと思います。笑

さてと、思い出すのは1990年代前半に大学でバイク部の部室で、GPZ250Rのことを友達に論じていることがありました。最初の北海道ツーリングに行った友達で、北海道を一周するために中型自動二輪の免許を取って、新車でZZ-R250をバイトして買ったバイタリティーのある友達でした。

GPZ250RやGPX250Rのトータルバランスを考えると、学生にはうってつけのバイクだと思いますが、彼は中古は何かあったら対処できずに困るから、新車が良いというのでZZ-R250を新車で購入することになりました。もちろんそれが出来れば、それに越したことはないのです。彼はたまたま人並み外れたバイタリティーがあったから良かったです。

まあバブル期の余波がありましたから学生バイトはいくらでもあって、60万円を貯めるのは当時は容易なことだった感じがします。しかし、短い4年間はバイトばかりしているとあっと言う間に終わります。私はそっちの選択をしないでスズキの中古車が巡ってきたのでGSX250Eに乗っていましたが、これは北海道を荷物を大量に積んで走ってきたら、フレームがよれたり、サスペンションがへたったりとしたもので、北海道から帰ってきてから中免を取ったばかりの友達に譲りました。

当時はネットなんか学術ネットしか大学になくて、個人が出来るインターネットなんかありませんから、古本屋を巡ってかたっぱしからGPZ250Rの記事を切り抜いて、スクラップブックにしてデータを調べてみましたが、どうもGPZ250Rにしておけば難なく4年間は乗れて北海道ツーリングも、もっと楽に出来たようでした。

全くベースとなる大切な4年間だったのに、バカのお陰でバイクに関して自己採点をすると40点ぐらいになってしまいました。お陰でバイクに飽きずに今日までバイクの探求をしているのですから、有難いことです。


大学3年の晩秋になって、来年はもう就職活動なんで遊んではいられなくなると、最後にバイク部の部員と奥多摩湖へツーリングに行ってから、部室で北海道に一緒に行った部員と二人で話をしていた。

「もうすぐ、バイクが夢で生活できてきたことが終わるけど、我々は他の学生と比べてどうだったものかなあ?」と私が彼に尋ねた。
「まあね、君がいてくれたお陰で楽しい大学生活で、北海道にもいけたし、短大の女の子とも友達ができた。感謝してるよ」と彼が答えたが、
「バイクについてはどうっだったと?」と訊き直した。
「とりあえず、カワサキに乗ってきてなんの問題もなかったが、俺はもっとハードなことをして自分を試したいと思うんだ」と、言う。
「え?今度は何する気だ??」
「来年だな、うちの大学でろくな就職は出来ないと思うんだよね、それで就職活動なんかせずにこのままバイト続けて、今度はロードバイクで生まれ故郷の山口に行ってみようと思ってるのさ」と彼は( ̄ー ̄)ニヤリと笑っていった」
「それはすげえな。俺はそんなバイタリティーないからな、是非やってみてくれ。なんらかの協力はする」と私は驚いた。
「君はどうするんだ?」と彼が聞いた。
「北海道にバイクで行ってきたら、夢が終わってしまったので脱力感がある。来年は小さな250ccを買って友達の短大生と静かに遊んで、いろんなところにバイクで一緒に行って学生生活を終わらせようという計画」
「なんかそれも良いけど、なんかパワーがない感じだな」と彼が言う。
「大丈夫だ。俺は自分で立てなくなるまでバイクに乗るんだ。それで北海道は壁を越えてしまったから、海外のどこかを制覇するんだ。ルート66やオーストラリアは誰でも行ける時代だろ、次のどこかを探しているんだ。おもしれそうなとこな」
「どこがあるだろうね。( ̄ー ̄)ニヤリ」

彼はコーヒーが嫌いなので、コーラをいつも部室で飲んでいた。自称おこちゃまなので許せという。

「ロードバイクにして、カワサキはどうするんだ?」私が訊くと、
「来年までは乗っているけど、後輩の誰かに売ればお互い良いだろう、ロードバイクを買うからガレージに置きっぱなしになるだろうね」
「いついくつもりだ?」
「来年の年末に、北海道は夏の極限を体感したんで、今度は冬の極限を体感してみたい。途中で年賀状を出すからそれで消息を確認してくれ」
「来年の年末なんて気が遠くなるよな話だな。俺は半年後に生きてるか死んでるか見当がつかないというのに」まったくタフな男だと感心した。

「あれ、来年の卒論始めるまでカワサキは置いておいてくれないか。最後のイベントを秋にやろうと思ってはいる。それで大学生活の本当に最後のイベントになると思う。新年度になる前に全て後輩に引き渡すが、最後のイベントだけは我々で計画する、それで立鳥跡をのこさずだ」
「ああいいよ。それで後輩で気骨なのがいたらカワサキ譲ってもいいよね」と彼が言った。

「おれらはここで何をやってこれたんだろうね、という生きてきた証みたいなのを感じる、ちょっとオーバーだけどね。生きてきたというレベルでもない」と彼が言った。
「しかし、ここで何やってきたんだろねえ。何でここにいるのかも不思議だ」と私が答えた。
「他の学生のたるさに同調してたら、ダメなだったろうけどなんとか免れたようだ。ゼミの誰々のように人がいいだけなのはいいけどさ、面白くはないよね、ねえ君、生きていて面白いか?っていつも聞いてみたい」と彼がいった。
「あいつか、あいつはなー表は良い人の仮面をかぶってるのさ。本性はきっと嫌なやつだと思う。ただ生きているだけの存在という気がしてならない。それをいつも良い人で隠そうとしてる感じがする」
「ははは。そうかもね」と彼が言った。

私は話ていたら喉が渇いたので、外にある自販機からカップのコーヒーを買ってきて部室に戻った。

だいぶ話していたので、すっかり夜になっていたが彼のZZ-Rが外灯で照らされていて、綺麗だった。カワサキのバイクは断然夜のほうが似合う。
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・・そんなことがあったと、GPZ250Rのサービスマニュアルを見てから思いだした。



2003年8月19日に突然

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デジタルの掛け時計が突然 2003年8月19日に突然なりました。

先日の深夜2時ぐらいに東金市は雷でしたが、外に出てみると突然南のほうに稲妻が光ったと思ったら停電になったのが原因だと思います。

バック トゥザ 2003 なのか思いだしてみようと。この年にブログを始めたのでよく覚えていますが、ブログをやり始めての一番の利点になったのは2002年と違って、いつどこで何かあったが、何をしたか、どこに行ったかということを明確に思い出せることなんじゃないかと思います。

ブログをやっていない、2002年は見事によく覚えていません。笑

因みに2003年8月19日に何してたかと言うと、8月15日あたりに自作パソコンがウイルスにやられてしまい、4日ネットをやらなかったぐらいで立木流れになってしまったような恐怖を味わいました。

群馬県立図書館に行って、一体何がパソコンで起こっているのか、1時間だけ借りられるネットで調べてみるとどうやらウイルスのMOZA5というのが流行していてそれに感染したようだと。もう、HDDはリカバリしないと使えないようだと諦めましたが、その帰りになにげにハードオフ高崎店に寄ってみたら、リース落ちの日立フローラが5000円で売っていたのでXPが発売されたので投げ売りされていた、98でした。

これを買って、OSはMEを持っていたのでこれにアップグレードしてウイルスにやられた難を逃れたのでした。
これ以後、パソコンは常に2機はネットに繋がるようにしてないとダメだと思って、常に2機は繋ぐようにしてます。

そんなことを記憶してます。
2003年というのは自分史では、デジタル思考に強制移行させられた年だったようにも思います。バイクが趣味なのですが、それまでやってきたことは置いておいて、パソコンをメインにしなければならなくなったようです。

気が付いたら、2003年から今年で15年も経ってるじゃありませんか!?
まあ、それからブログ⇒ツイッター⇒フェイスブックと、一般的にはやらなくてはなりませんでしたので、バイクなんぞに熱中してる場合じゃなかったんですよね。

しかし、SNSのインスタやフェイブックってそんなにやる必要あるの?というのが実感です。
これについてはまた後程書きましょう。

夕焼け

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今日の東金市の夕焼けはこんな感じでした。
見えている丘みたいのは八坂神社が坂を上るとある丘です。

ROYAL ENFILD 169 ”Make like a Love”

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女性アーティストのÆさんにロイヤルエンフィールドのボードアートの作品を創作して頂きました。
タイトルは、ROYAL ENFILD 169 ”Make like a Love”
『愛のように創られたロイヤルエンフィールド』です。

誠にありがとうございます。  

蒔かぬ種は生えぬ

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お盆なので今日のお寺。
山武市成東 波切不動尊

蒔かぬ種は生えぬ
だそうですが、フェイスブックやりはじめて9年になるところで、実際始めたのは7年くらいになりますが、なんか種がはえたんですかねえ?

成田空港の上空

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成田空港から次々とジェット機が2分置きに離陸していく時間です。海外脱出組がたくさん載ってるんでしょねえ。
いってらっしゃーい。
私はお盆中は動きませんけどね!

学生の頃になんとか部でした!なんていう青臭い話

  九十九里浜も台風13号の影響でシケになってきた。
九十九里町の海岸沿いのビーチラインなどは夜になるとどこにでもある田舎の風景で、セブンイレブン以外は店の灯はない。

海沿いなので、こんな台風の前の日は塩でべとべとになる。あまり外にもいられないから散歩もできない。


バブルが弾けた年のころ、、学生の頃になんとか部でした!なんていう青臭い話は書きたくもないし、読む人もいないだろうけど、なんとなくこんな日はバイク部だったころを思いだす。
よく自宅のアパートではバイクが修理できないから、バイク部の部室でバイクの修理とかレストアとかをしていた。時には深夜1時くらいになるまで作業してるのはざらだった。
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ズームイン  この下に部室がありました。
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大学は群馬県と埼玉県の境にある小さな私大だったけど、ここ十年箱根駅伝に出ているので一躍名前だけは知られるようになった。




思い出すのはあれ、夏季テストが終わっていよいよ夏休みになると、みんな故郷に帰るので居酒屋でコンパ(単なる飲み会)をしてから次の日に部室に戻って、バイク屋で朽ち果てそうになっていたGB250クラブマンというバイクを友達が欲しいというので、レストアしていたのがエンジンを積み直してエンジンが掛かるとこまでいったので、最終的に整備してた。
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深夜11時になるくらいだったか、隣接する部の部員がこちらの部室に灯がついているのを見て、部室に入ってきた。まだ他に学内に居残っているのがいたのかと思った。

「何してるの?」と聞いてきたので、誰々に頼まれてバイクを直していると私が言うと、「きみは本当にバイクが好きなんだねえ」と言う。
「バイクが本当に好き?」と、私は聞き直したが、
「目の前に面白いものが他にないからねえ、高校の頃から原付だけどバイクは弄ってきたから。鉄の塊が動いてどこかに移動できるんだから、面白いよねえ」と、言った。
「君はバイクが好きなんだよ、だってこんな遅くまで他人の為にやらないでしょ」
と、彼が言った。
「ああ、そうなのか」と思った。

滅多に話をするこもない学生だったので、インスタントしかないからそれでよいか聞いて、コーヒーを入れて話をすることにした。誰かが置いていったバカでかいラジカセでTOKYOFMを入れた。 

彼が何か話したそうなので、話を聞いていてあげてたら仮面ライダーの話を延々と楽しそうにしていた。彼は普通に日東駒専とかの大学に行ってそうだが、身体が弱いので近くの大学にした学生で、話してる内容は他の学生と違って、一目置かれていたが、こんなに楽しそうに話すのははじめてみた。

ヲタクだと思った。

田舎の大学なので、東京(中央)と繋ぐものはTOKYOFMしかない。ラジオ放送を流しながら彼の話を聞いていたが、自宅まで帰る終電が来るので帰っていった。たった何駅の区間なのに、バイクに乗らないと面倒だなと思った。
私もアパートに戻った。

次の日、大学は夏休みになっているけど、専門課程でなく興味のある特別講義があって、「群馬の民族学」というのを受講してから午前中で終わってまた翌日なので、バイクの試走に行くことにしたが、足利の工業大学に通っていた、友達のまた友達がいたのでレストアしたバイクをどんなものか見てもらうことにした。

大暑の次の日で、猛暑の一日だった。高崎から尾島へ行く国道354号を走っていったが、途中は何もないところだが今はなんとか歴史街道とか名前がついているらしい。

バイクも生き返ったし、こんな日にバイクで走ると確かに生きている気がする。脳みそのどこかに良いんだと思う。

5時かそこら辺に知り合いのアパートに行ったら、知り合いはいてレストアしたバイクを診てもらうと、エンジンをかけるとそこら辺を走ってきて問題ないと言った。彼はカワサキの750ccに乗っていた。ガソリンスタンドでながいことバイトしてるから、こういうのに乗れるんだなと思った。

ビールをコンビニで買ってきて、彼の家で飲んでいたが何を話していたのか思いだせない。話をして面白い人ではないしが一生懸命冗談は言おうとしていた。器用な人だが妙に神経質で異常なところがあったので、友達は変わった人ばかりのようだった。多分、在日だと思うが差別はしなかった。人間的にはやさしいところが多少あった。

次の日、彼のアパートに停めさせてもらってから、また「群馬の民族学」の特別講義があるので2時間前に彼に御礼を言ってから、今度は国道50号バイパスを走ってみることにした。もう、高速を乗っても大丈夫だと判断できる。

朝から暑い日だった。国道50号バイパスで高崎に戻ると、流れはリードできるバイクなのであっけなく大学に着いた。また面白い講義を受けていたがクーラーがない教室なので暑かった。
みんな郷里に帰ってしまったので、こんな講義を受けているのはモノ好きしかいなかったが、ラッキーだったのは少ない女子のなかで、ピカイチと呼ばれてる女のこがいて隣に座っていた。


久しぶりにすごしやすい 夜 立秋

久しぶりに夜になってから室内温度が25℃にまで下がりました。
扇風機を回してですけど。


明日は暦の上では立秋ということになります。

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ピンタレストのポリシーが変わって三日

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ピンタレストのポリシーが変わって三日テストしてみましたが、個人的には良かったと思います。AIがお好みの画像を最優先してくれて、みたくもない画像は出てこなくなりました。アダルト禁止が特に良かったようです。タンブラーのアカウントは削除しました。

ジョナサン 東金店

東金に引っ越してくる前に最初に東金に降り立ったのがジョナサン東金店でした。
今日も暑かったですが、危険な暑さなので無理しないで涼しいところに移動しましょう。自宅でクーラー利かすのも良いのですが、涼しいところでアイスコーヒー飲んでいたほうがいいです。

今年の夏の暑さは過去と違います。猛暑や水害であっと言う間に人が亡くなってしまいますから、無理しないほうが良いです。

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今日はドリンクバーとデザートぐらいでした。ここは良く使うファミレスです。
九十九里浜からは片貝県道で一本で、国道126号と交差する場所にあります。

夕方6時過ぎまでいました。
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7月31日の火星大接近

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7月31日の火星大接近。望遠鏡も持って白子町の古所海岸に行きましたが、やはり観測史上こんなに火星が大きく見えるのは驚きました。画像はFinepixsのネオ一眼なのでこれが限界です。

古所海岸は千三百年前に上空に亀の霊獣が現れたところで、白子大明神として祀られ、現在の白子神社となっている場所です。
(*´ω`*) クリックお願いします。

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てんま

出身校は上武大学経営情報学部ですが、聖地巡礼していろいろと学んできました。
群馬県沼田市生まれ、千葉県 東金市 在住


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